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200回記念
200回
簡単な数字ではない。
回数を一つずつ重ねなくてはいけない。
ここまで来るのに、18歳から始めて約19年かかった。

今日、いつものマリエへ。
そう、200回目の献血をしてきた。
我ながら頑張ったと思う。

父親が心臓病で長い闘病をした。
大きな手術を2回もした。
今から20年以上も前である。
輸血をしてもらうのにも、大変な思いを父親はもちろん母親もした。
輸血をしてもらった分は、また返さなければいけない。
知り合いの献血手帳を大変な思いで集めていた。
輸血のため、病院に来てもらった方達にも多額なお礼をしていた。
今、そんなことは考えられない。
しかし、そんな大変な両親を見て育った。
そんな父親も自分が18歳の時に他界。
献血ができる年齢になると、すぐに献血を始めた。

当初は200ml献血。
その後、400ml献血もOKになった。
また、成分献血も始まった。
成分献血が始まった頃は、献血手帳のポイントも3倍だった。
だから、自分の200回も正確に言うと、200回したわけではない。
今は、普通に成分献血をする人は当たり前だが、当初は少なく苦肉の策だったのかもしれない。
しかし、3倍ポイントを考慮しても150回以上はしている。

目指せ!300回!
単純に計算すると、成分献血は1か月2回できる。
年間24回。4年以上はかかる。
仕事だったりで毎月2回は大変だ。
そして何よりも健康でなければならない。
そう、考えると200回は重いなぁ~。

娘・円来も大量の輸血、血液製剤のお世話になった。
それを返すつもりでも…。
そして今も、血液を必要としている方達のためにも…。
自分の健康のバロメーターのためにも…。
続けることができる限り、続けたい!
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【2011/04/28 23:40 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
応援終了
東北地方への油配送の応援のため、新潟に滞在していたが、充分に油も行き渡り、今後の配送も見えてきたことから、月末までの予定が早まり、今日富山に帰ってきた。
富山の2台だけが、まだ引き続き残った。
自分としては、約10日間楽しんで仕事をした。
一生に一度あるかないかの体験は、今後の人生に大きく影響を与えるのではないかと思う。

東北地方の人達のためにっていえば、おごりになってしまいますが、今回の体験は、逆にたくさんの人達に助けられながらの応援だったと…。
富山に残った社員だったり、家族であったり、奥さんであったり…。


もんちママ、ありがとう
【2011/04/27 17:12 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
新潟入り
新潟事業所にローリーを止め、30分くらい離れた油槽所から東北は、福島県や山形県へ油を配送する。
基本的には危険な原発から30km内の配送はない。


いよいよ現地入りだ。
メンバーは3人で2週間交代。


朝一番、他の2人は会社の車に乗り、新潟事業所にて現在まで頑張ったメンバーと引き継ぎをし、交代だ。
自分は、ローリーを1台回送して欲しいとのこと、他の2人より1時間早くローリーに乗って新潟へ向かう


約3時間半で到着。
前メンバーは、みんな元気だ。
前メンバーは、生き生きして帰っていった。
自分達も2週間後には…。

ホテルチェックインまで時間があるため、ホテル周辺を散策し、昼御飯、買い物を済ませた。
長いホテル住まい、大浴場があるのは、ありがたい
明日の配車は、すでに決まっていた。


南会津只見、会津の山奥だ。
現在の会社に入る前は、長距離運転手をしていて、会津、郡山、浪江町、山形、仙台は、よく走っていたので、だいたいはわかるつもり。
しかし、もう17年も経っているので、ずいぶん変わっただろう。
ちょっと緊張


、今日来たメンバーで、「明日から頑張ろう会」をホテル近くの居酒屋で
【2011/04/22 17:29 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
新潟2日目
今日は、朝から
放射能には、一番危険だとされる。

配送先は、喜多方市。
放射能は比較的少ない。
喜多方市では、やはり小雨

持参のカッパにマスク。
完全防備で荷卸し。
今日は、1ヶ所卸し。


帰りは早いので、長距離時代によく走っていた国道49号線で帰る。
会津坂下の七折り峠には、立派なトンネルが。
津川の大型車同士がすれ違えないトンネルや橋は変わっていない。
昼御飯は、新潟まで我慢をし、弁当で済ませた。
震災直後は、では弁当がほとんどなかったそうだ。
ありがたい。


朝御飯は、ホテルでバイキング、晩御飯は居酒屋。
これでまともに昼御飯をたべれば…
金銭的にも肉体的にもカロリーオーバー
少しでも…と思い、ホテルでは5階の部屋へは、階段にした
お風呂、洗濯、外出、全て階段。


は、ホテル近くの大衆割烹
安くてうまい

しかし、経済的には…
明日、また考えよう
【2011/04/19 10:57 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
新潟1日目
朝、油槽所のルールや積み込み方法を教えていただき、油槽所へ向かう


かなり大きい油槽所だ。
面白いのは、ローリーのナンバープレートだ。
大分、札幌、帯広、名古屋、三重、福井と…。
全国から応援に来ているのだ。


今日は、南会津の只見3ヶ所卸し。
仕事でもなかったら、まず行くことはない。
そういう意味でも、仕事とはいえ楽しまないと…。


まだまだ寒いのか、道路の両サイドには、が残っている。
地図を見ると、新潟県、栃木県の県境近く。


福島県といえば、放射能の問題で自分はずいぶん心配していた。
昼御飯にコンビニで、弁当とカップラーメン
食べ終わった後、「しまった!カップラーメンのお湯がヤバかった!」と。
しかし、ローリーを走らせていると、も良く、どの家庭でも、外に洗濯物が普通に干してある。
子供達も元気に外で遊んでいる。


一軒目の、こいのぼりが気持ち良く泳いでいた
あっと、風向き。
東からの風。
原発からの風だ。


しかし、どこへ行ってもみんな普通に生活をしている。
特にマスクをしているわけではない。


今日、自分がヤバいと思ったことは、どれくらい福島県の方達に失礼であり、それ自身が風評被害の一因であると、後になって気づく。

行きもそうだったが、帰りも、磐越自動車道には、支援の車両が多く走る
自衛隊も多い。


は、四日市のメンバーと軽くした。
1日目、地震にも合わず、無難に終わった
【2011/04/18 22:56 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
被災地への応援
東北大震災、もう1ヶ月以上経つのに、今だ全容がつかめていない。
油不足が当初、ずいぶん騒がれたが、落ち着いてきているように思う。
そんな中、震災への応援は早くから自分の会社でも始まっている。
2週間交代で、現在第2陣が新潟へ行っている。

そんな自分にも、いよいよ順番が回ってきた。
今週末から、新潟行が決まった。

まだまだ余震もあるし、一番心配なのは、放射能の問題だ。
もんちママは、すごく反対した。
「何かあったら、どうするの!」
しかし、現実に福島県には住んでいる人もたくさんいる。


少しでも、人のために役に立つことができれば…
【2011/04/14 23:10 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
成長
二男が約10日間の仕事から帰ってきた。
中学校で登校拒否。
高校も定時制で登校拒否、中退。
仕事も長続きしなかった息子である。
それでも昨年からアルバイトを頑張り、春からは鳶の仕事を。
その鳶の仕事で、今回被災した宮城県へ行ってきた。
余震や停電の大変さを帰ってきて、ずいぶん話してくれた。
そして何よりも人に気を遣い、優しくなったような気がする。
被災は確かに現地の方々は大変であるが、
息子ではないが、人を大きく成長させる。


被災地で一生懸命に動いている中学生や高校生の様子を見る。
どんな教育より、すごい体験をし、人を思いやる心が芽生えていると思う。


不幸をも幸せに感じさせることにできる自分でありたい!

【2011/04/13 22:02 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
癒される仲間
東京では、いつもの仲間が集まった。
お子さんを小児がんで亡くした家族である
自分達夫婦も含め、6家族10名、お店のご主人と奥さんも同じく小児がんで娘さんを亡くされているので、大人数が集まった
また、新しい仲間が一人。

自己紹介や近況報告、1時からお店を開けてもらって予定の5時まで、あっという間の4時間
涙あり、笑いありでとても良い時間、良い仲間、良いお酒に酔いしれた
自分は、帰りの山手線、モノレール、飛行機、ほとんど



また、今回参加予定だった千葉のIさんご家族、長女の娘さんが「化膿股関節炎」という病気になり、大変な思いをされている。
次女の娘さんを小児がんで亡くされ、今度は長女の娘さん、気持ち的にも相当辛いと思う。
今回、午前中に千葉の病院にお見舞いに行き、娘さんとは面会はできなかったがママとは、少しお話ができた。
負けないで
【2011/04/11 11:45 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
東京
日帰りの東京。
まず、行きの飛行機に空席に驚いた
いつも、土曜日の朝一の便は、満席状態である
これも地震の影響、特に原発の問題から、関東方面へ行く人も減っているのであろう。
客室乗務員さんが、身近に感じられるのは、嬉しい
そして東京は、放射能を気にして、さぞかしマスクをかけた人が多いだろうと思っていたが、意外にもそうではなかった。
しかし、帰りの羽田空港も最終便でかなりまばら
いつも買えないロールケーキのおみやげが、普通に買えたのには、ラッキー
【2011/04/11 11:14 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
さくら開花宣言
富山では、今日ソメイヨシノが開花したと発表
昨年は、暖冬でずいぶん早かった。
今年は、寒い寒いと言いながら、例年通りではないだろうか?
富山では、松川べりのさくら並木が一番早い。
徐々に他でも開花していく。


どうか東北の被災されていらっしゃる皆さんにも、春が…
そして、小児がんと闘っている子供たちやご家族にも…


明日は、日帰りで東京へ
予定されていたゴールドリボンウォーキングが中止。
格安旅客券を予約していたので、キャンセルには追金が…
せっかくなので、行くことにした。
小児がんでお子さんがお星さまになった家族で集まる。
大震災のチャリティーもかねて
癒されて来よう
【2011/04/08 23:55 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
253号室
娘・円来が富山の病院で入院していたお部屋。
小児がんの宣告を受けて、すぐに入院。
約9ヶ月いた個室。
もんちママも付き添いで、ずっとこの部屋にいた。
嫌な思い出ばかりではない。
看護師さん達が一緒に遊んでくれたり、研修医の先生達の出会いもあった。
円来が先生に初恋したのもこの部屋。

大阪の病院に転院して、改めて個室の息苦しさを知った。
しかし、この部屋を知っていたおかげで、大阪での人との会話の大切さや暖かさを知ることもできた。
今、自分達の活動の原点がこの部屋には詰まっている。

この部屋が、病院の改修等で夏にはなくなってしまうと聞いた。
無理をお願いし、現師長さんに病室を見せてもらえないか?お願いしていた。
昨日、師長さんから電話があり、「部屋が空いたので見にきてください!」と。
そこで今日、もんちママともんちママお母さんの3人で久しぶりに病室に行ってきた。
5年経っても、ほとんど変わっていない。
変わっていたのは、当時こっそり師長さんの計らいで持ち込んでいたDVDが、今は普通に置いてある。
「こんなに狭かったんだ」今は殺風景だが、当時は簡易畳を惹いて、布団やらぬいぐるみやら、荷物がたくさんあった。
昨日から、もしかしたら泣けるんじゃないかと思っていたが、意外にも普通でいられた。
部屋に円来がいるような…

5年前いた看護師さんは一人だけ。
後は、師長はじめほとんどの看護師さんが変わった。
しかし、師長さん曰く、「誰も円ちゃんを見たことがないけど、円ちゃんのことはみんな知っているんです。個室で頑張った円ちゃんから教えられることがたくさんあるんです。」と。
円来は、幸せ者。
みんなの中に生きている。
とっても良い日となった。
【2011/04/08 23:16 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
北日本新聞
今日から富山の地元紙、北日本新聞に小児がんのことが4日間連載される。
「生きる力」とのタイトル。
今までにも心臓病や1型糖尿病が取り上げられた。
どの病気も子供たちは、本当に頑張っている。

少しでも、小児がんのことが多くの人達に知ってもらいきっかけになればと、願う
【2011/04/04 05:36 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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